
JR総武線水道橋駅から向かって東京ドームの裏側、駐車場の近くにあります。
鎮魂の碑
この記事を執筆当時の2025年の3月はyoutubeで鎮魂の碑に名を刻まれている人物たちが活躍した時代を取り上げているので、それと合わせてご覧いただけると嬉しいのですが。
P.N.馬食(野球雲スタッフ)

この鎮魂の碑というのは、西暦で1937年の日中戦争から、1945年に終戦を迎えた太平洋戦争までの戦時下で戦場で命を落とした職業野球選手の功績をたたえるために建てられたものになります。

右上から見ていくと、日米野球に参加した青芝憲一、同チームで外野手として活躍した伊藤健太郎は職業野球では巨人軍に在籍していました。荒木政公は九州でも有力な選手だったことを動画ではお話しています。石丸進一なども名古屋軍で活躍した投手としてかなり有名な選手です。
2段目を見ると倉信雄、沢村栄治というビックネームの名前が目を引きますが、田部武雄も職業野球開始以前に巨人軍を退団した超俊足の選手として有名です。第1次アメリカ遠征では105試合で110盗塁を記録した逸話が残っています。他にも新富卯三郎などは12号でも紹介させていただきました。

右側最後の3段目はライターの私的には思い入れのある選手名が。
前田喜代士は先日公開した動画の冒頭に少し登場。三輪八郎は満州リーグでノーヒットノーランを達成したタイガースのサウスポーでした。村松幸雄は名古屋軍で防御率0点台を記録するなど、現在ではなかなか話題に上がらないのですが、当時の超一流選手が残念なことにここに記されています。

続いて左側。
こちらは結構タイガーズに在籍した選手が多め。小川年安は草創期の阪神の打てる捕手として大活躍。景浦将は沢村栄治と共に称えられるタイガースの主砲であり、大投手でした。
鬼頭数雄は10号で松竹ロビンスを取り上げた際の目玉選手。盗塁王や首位打者のタイトルを獲得した名選手ということで、野球雲ファンの方も好きな方は多いのではないでしょうか。

次の弾でいきなり名前が出てくるのは永井武雄。大東京軍最初の監督ではありますが、シーズン開幕前にクビを宣告されてしまい日中戦争で戦死。プロ野球史だけを見るととぼけた選手のように感じていたのですが、大正から昭和にかけての六大学野球の大スターでもあったのが永井。宮武三郎、山下実以前の慶應大学のスターと言えば、二刀流の永井か大エーの浜崎真二なのではないでしょうか。
そしてタコ足の中河美芳。投手としても活躍していましたが一塁手としての華麗な守備が現代にも伝えられています。現代基準で守備が上手い一塁手がなぜここまで称えられているのか、少し不思議ではありますが、これについてもいずれ取り上げてみたいと思います。
他にはタイガースの酒仙投手である西村幸生、当時よく使われていた主戦投手と酒仙をかけたネーミングなどを見ると、当時の人々のセンスに嫉妬を覚えたりもします。
そして野口兄弟の三男である野口昇。彼も戦時下でようやく出番をもらい始めた矢先に召集をうけ、戦死。当時貴重な若手内野手だったので、彼が戦後も生きていてくれたら、野口兄弟で一番のビックネームになれたかもしれません。
それに続いて、林安夫。もう説明不要の(野球雲読者的には)大投手です。そして同チームの福士勇も見てもらいたい。

ここで一番のビックネームはやはり吉原正喜になるのでしょうか。先述の荒木政公が九州ナンバーワン投手だとしたら、彼は当時の九州ナンバーワン捕手、打ってよし走ってよし守ってよし、チームを導いてよしと戦前職業野球で最高の日本人捕手として取り上げられています。彼がつけた背番号27が、正捕手を意味する背番号として現代でも生きています。彼が説得し共に入団したのが、あの川上哲治というのも有名な話です。
また矢島粂安も個人的には思い入れがあります。彼は職業野球は参加しませんでしたが、それ以前の日米野球に主力として活躍。それ以前も早稲田大学のスター選手として、大学卒業後も社会人野球の東京倶楽部で都市対抗で優勝を果たすなど、戦前の主要な選手に数えられる人物です。




最近の世界情勢がきな臭くなっているといっても良いのでしょうか。戦争がまた日常になる時代が来てしまうのではないかと心配しています。これが杞憂であることを祈りますが、
2025年の3月には東京ドームでMLBの開幕戦が行われました。私たちはあの時代を乗り越え、今では野球を共通言語としてアメリカと親善を結ぶことが出来ています。
鎮魂の碑に眠る方々の犠牲を忘れないためにも、一度野球ファンは訪れてみていいのではないかと思います。
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