ぬかてぃのふらふら地域野球探訪 3 ~大塚明の過去を探しに~
私の母校は別府大学である。私の世代を以て学部整理がされ、私の所在していた文学部国文学科は消えてしまう。いわゆる最後の国文学科世代だった。もう十五年以上前だ。別府大学34号館の一階、学生ホールにいつもたむろっていた四天王、という名前を出したら同世代は伝わるかもしれない。別段不良だったとかそういうわけではないが、普段から学生ホールに入り浸ってだらだら会話したりボードゲームしたりして遊んでいた私たちは悪目立ちしていた。
その34号館と繋がっているのが1号館でエレベーターのない古い校舎がある。
私はその1号館が好きだった。そこそこ高いビルであったからこそ南側の窓からは別府の中須賀周辺がきれいに見える。春木川の海岸沿いに建てられたタワーマンション、シーサイドヴィラ春木やホテルサンバリーアネックス、多くのビルが周りに集まり、そして別府湾を照らす太陽が輝きに満ちている姿をみて「大きな町に来たものだ」と心を躍らせていた。私は故郷含めて山に関係する街に住むことが多いが、それでも海が好きなのは別府湾とその街並みが私を形成したからだろう。同級生が私を思い出す時いつも学生ホールを思い出すらしいのだが、私が大学を振り返る時必ず思い出すのが1号館の景色であった。
その一号館を東に向かうと見えるのが大分県立別府羽室台高校であった。
私もまた一プロ野球ファンであったが知識を得てきたのはゲーム、実況パワフルプロ野球であった。多く在籍した選手が能力に合わせてつけられている。その中で怪我がちだった選手は高出力ながら控えという事も多かったので試合の度に使うという事も多かった。
その中に千葉ロッテマリーンズの選手、大塚明がいた。パワーと走力がB、選手として能力が高いのに控えにいるのはなぜか不思議だった。だから大塚明という選手は印象に残っていたのだ。
そういう時期に選手名鑑を買う事を覚え始めたから勿論経歴などを知ることになる。そこで別府羽室台高校の名前を知る事になった。甲子園にも行ったことのない大分の、正直無名と言って差し支えない選手がドラフト三位。今と違って育成指名もなければドラフト外使命もなくなっていた時期の選手だから不思議で仕方なかった。
その別府羽室台高校が目の前にある。歩くにはなかなか距離のある場所だが目の前にあるのだ。
別府羽室台高校は珍しいところにある。亀川から鉄輪へと続く野田にぽつんと立っている。この度調べて分かったのだが開校が1983年と若い。それが半世紀たたないうちに別府青山高校と合併するのだから少子化を感じずにはいられない。もはや日本の田舎には子供があちこち居る姿は過去のものとなったことを嫌というほど思い知らされる。
別府は高校の多くが別府駅より北側で、別府市を流れるふたつの河川、境川と春木川の間、別府大学からでいう南側に多くあるのだが羽室台高校だけその別府大学より北にあるのだ。
ある時私は心の中にある冒険心を抑えきれずに羽室台高校まで歩いていったことがある。別に取材をしようとかそういったものではない。大塚明がドラフトで指名されたからには何か我々が知らない謎があるのではないか。実はプロ野球の世界でしか知らない謎ノウハウを羽室台高校の野球部は持っていて、その結晶が大塚明なのではないか。
今考えれば妄想の域に至っているがそんな想像をしながら歩いたものだった。当時は2000年代に入り、家庭にもインターネットが本格普及してきた頃とはいえまだまだ敷居の高く、スマートフォンもなかった時代の学生には暇な時間だけは山ほどあったのだ。
野田の斜面を登っていく。十五分ほどふうふう息を吹きながら登っていくと十分もすれば別府羽室台高校まで来てしまった。
大塚明のノウハウはどこにあるのか、少し入ろうとしたものの小心者の私は「部外者」とかなんとか言われたくないからぐっとのぞき込むくらいしかできなかった。
するとグラウンドに何かが見える。そこには野球部が練習をしていた。遠くからだったのでなにをしていたのかは分からない。ノックだったのか、打撃練習の球拾いだったのか。それは分からない。
しかし私は「大塚明ノウハウの正体見たり!」となぜか満足してしまった。すると私の姿が見えたのか野球部員がこちらを見て挨拶を返してきた。誰かと勘違いしたのか。驚きのあまり私は深々と挨拶をした。野球部員はまたもとに戻り練習を再開し始めた。
もう私は満足してしまってそのまま帰ってしまった。そのまま野田の坂道を登って気付けば鉄輪に出てしまった。馬鹿みたいに歩き回ってしまって近くのコンビニに入ると学生ホールでたむろっている友人の一人が働いていた。
「なにしてるの」
「大塚明の秘密を手に入れてやった」
「大塚明って誰」
「ああ、プロ野球選手ね。よかったね」
プロ野球に興味のない彼は朗らかな笑顔で聞くだけ聞いてくれた。それでも私は満足だった。
そんな羽室台高校も今ではもう統廃合でなくなってしまい、その地に足を踏み入れる人も少ない。
それはある意味私の人生にあった冒険心をくすぐった土地が一つ消えたことにもなって、卒業生でもなんでもない部外者ながら寂しい。
P.N.ぬかてぃ
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